1. ベトナムを行く
コンドームを初めて買う高校生のようにビビりながら、一人ベトナムはハノイ、ノイバイ国際空港へ。夜中、23時着。
タクシーに乗ると、助手席にも男が。「隣は息子だ、心配ない」という。俺史上、最も心配な空間が広がる。
背中を丸め、宿街へ。早くも「日本に帰りたいパワー」がトランスフォーム中のコンボイのように体中にみなぎる。
夜の1時、宿にチェックイン。ビールは1本約70円。滞在への不安もあったが、値段を知ったとたん、第47回アル中選手権スタート。
みんなが見て見ぬふりする電線。そのカオスは、とある俺の陰毛をも軽く超える、絶妙なちぢれ感をキープしていた。
通りに出ると、そこらじゅうで原付男塾が開校されていた。人間より原付の数が多いという、異常な生態系が形成されている。
よく街角でみた謎の番号。スプレーで吹き付ければクールという昭和のグルーブが、当然のように採用されている。
読めないシリーズ満載。頼むから、世界の共通語が日本語になって欲しい。
道端では、映画「ビーフ売りの少女」の撮影が行われていた。来年の公開を控え、急ピッチで制作を進めているのだろう。
しかし撮影が終わると、主演のビーフは翌日まで放置されるという。主演をあえて甘やかさないことで現場の緊張感を高める、監督のこだわりが感じられる。
郊外へ移動し「刑務所博物館」へ。ヘヴィメタルのジャケに即戦力で使えそうな充実のラインナップが、しっかりと壁に刻まれていた。中に入ると、
サウナでくつろぐオッサンにしか見えない石像が乱立していた。重いテーマなのだから、まずはこの社員旅行感を改善しなければならない。
昼食は、国民食のフォーを食べる。これを食べるとTポイントカードが貯まるのだろう、全国民が朝から晩までこれを食べている。
夜は、地元民ぶって道端で飲む。しかし食事中、背後に視線を感じるので振り返ってみると、
明らかに俺をガン見している、元モデルのテリーヌを発見。旅先での突然の恋に、一気にボルテージが上がる俺。
翌朝、まだ眠っているテリーヌにフレンチキスで別れを告げ、下町へと進んでいく。
すると裏通りには、斬新な空間アートが所狭しと並んでいた。芸術へのこだわりも忘れない、ベトナム人の懐の深さを感じる瞬間だ。
ちなみにメインの通りでは、道端に必ずモノ売りがいて、大通りには店が並ぶ。「すき間を見つけたら店を出せ」という法律でもあるのだろうか。
夜、通りを歩いていると、道の真ん中でキスをしているカップルを発見。この際、もう原付と言わず、ぜひKOMATSUの巨大ダンプカーで、とどめをさして欲しい。
夜は町中に、ポップさゼロの逆スターバックスが次々と現れる。人間どこまで悲しい店が作れるのかを、確かめているのだろう。
12月31日は、朝から片道3時間、バスで港を目指す。ただの東北自動車道。 泣きたくなる。
港からは船で移動する。見えて来たのはボッキ島。いろいろなボッキがある。
ボッキ島のふもとでは、ボッキーズが水上プロレスの真っ最中。チケットはウドー音楽事務所まで。
19時に町へ帰還。年越しへ向け、町全体が熱気を帯びている。しかしベトナム全体に金がないため、盛り上がりは西口商店街のバザーレベルだ。
年越し直前の夜22時ごろ、裏通りを歩いていると安ホテルのロビーで、無料酒&爆音パーティがやっていた。早速入ってみると、
中はベトナム人を中心に、いろいろな国の人間が出入りしていた。アジア初の年越しは、意外と穏やかな雰囲気のなかで送ることになった。と、思っていた矢先、
アル中モード全開のオージービーフたちが会場に突如乱入。「近くに盛り上がってる店があるらしいから、行こう」と誘われ、ほぼ無理やり連れていかれる。
しかしそこは、アウェイ感100%、白人オンリーのパーティだった。音速で居場所がなくなる俺。
会場の奥に進むと、ビリヤードなのに、穴に入りそうなボールを全力で救出するドラ息子の姿が。育ちの良さが裏目に出た瞬間だ。
しかし、警察の介入でパーティは終了。すると今度はバイクのオッサンが「非合法クラブがある」と強烈なアプローチ。結局年越しは、このオッサンのバイクの上で送るハメに。俺の人生を返して欲しい。
20分後、海上に浮かぶエセクラブに到着。重低音テクノが鳴り響く会場。夜中4時ぐらいまで暴れたところでさすがに酔っ払い、1人タクシーで帰る。
しかし、時は1月1日深夜早朝。ホテルはおろか町のシャッターは全て閉まっていた。新年早々、きっちりとオウンゴールを決める俺。
うすれる意識のなかで、沿道で横になる。埃のなか寝ている間、鼻をほじくりまくっていたようで、朝方、鼻がキングコングのようになっていた。
すごい二日酔いのまま、元旦は寺に出向き初詣。どうしても金がないという強引な理由で、人生初の無料参拝を成功させる。
ここでは建国の父、ホーチミンの遺体が公開されていた。尊敬するのはいいけど「遺体公開」というモア・ディープな愛情に、ホーチミン的には複雑な表情をしているように見えた。
午後はバイクタクシーをつかまえ、約3時間、存在しない「すき家 ハノイ店」を探してくれとバイクに無理難題を迫る。
運転は31歳のフップ君。ご覧のとおり童貞ながらも、まつ毛が長いという無駄な状態で毎日を過ごしている。
町に戻り、道端の屋台へ。こんなリアルな道端を、道端ジェシカ本人にもぜひ体感してもらいたい。
そこで海鮮を食べる。ハマグリやサザエ、似たような味。やはり地球には、カツカレーとラーメンだけあれば十分と思う。
しばらくすると、生きたままお湯に投げ込まれる、熱湯コマーシャル方式で調理された蟹が登場。食われたくないのか、切ない目でこちらを見ている。
しかしなぜ人間は、蟹の脳みそまで食べるのだろう。そのセンスは、野蛮を超えてド変態の域に達していると思う。
夜、公園に行くと、いい加減な電飾で無理やり新年を盛り上げる装飾が。見る者全てを空しくさせる、奇跡の演出が採用されていた。そのまま奥へと進むと、
今では禁止されているファイヤー祭りが。お客の女性に助手をやらせ、全部自分でやってしまうテキヤの親父の鍋奉行ぶりに注目したい。
ちなみに、ハノイはバックパッカーの目を引こうと、必要以上に強気の看板が乱立する。中は惚れ惚れするほどライジング・ドラゴンしていない。
翌日は、電車に乗りたくてバイクでハノイ駅へ。しかし、必要以上の哀愁度に悲しくなって帰宅。
バーでは、当然のように半裸で飲んでいたノーフィアーに遭遇。失うものがない者だけが持ちうる、青じそドレッシングのようなアッサリ感を漂わせている。
腹が減ったので、日本では到底行けない焼き肉屋へ。しかし、焼けば焼くほど腐臭が漂うワンダーゾーンへ突入することが判明、ピタリと箸がとまる俺。
翌朝は、ベトナムコーヒーで一服。やはり今日も皆、「すき家 ハノイ店」を探している。
屋台ばかりも難なので、キレイな店に入ってみる。しかし壁には「金玉満堂」という、意味はわからないが気合だけは十分に伝わるスローガンが掲げられていた。
最終日の夜、期待に応え腹を下し、みるみるスリムなボディを手に入れながら空港へ。
帰りの飛行機は、なぜか0時25分の深夜発。銀河鉄道も走っていないこんな時間に、わざわざ飛行機を飛ばす国ベトナム。そこまでして、誰かにツッコんで欲しいのだろうか。
夜歩くとこんな感じ。日本でラーメン濃い目を食ってる方が数倍幸せだが、もう1回行きたい国、そんな感じがベトナムではある。